はむこの勉強記録

http://bit.ly/2ktf20t の写し

最近思ったこと

概要

色々と思ったことを無秩序に並べて頭の整理します。粒度が高めのところからなぐり書きします。

いろいろ

競技プログラミング以外にも、技術的ブルーオーシャンはある。特に僕はロボット屋なのでわかっているはず。電子回路設計も、機械設計からの量産も、絵も描けなければ、3D CGモデリングもできない、機械学習もおぼつかない。洋服も作れない。Webとスマホアプリ開発もできない。人を集める能力も金を集める能力も足りない。最近の学習マネジメントは、博士過程の卒業という極めてちっぽけな理由であるとしても、今のスキルの振り方は尖りすぎているように思える。この方法ではキャリアの広がりは限定的であり、自分自身のためにはならない。能力は尖っていなければならない。自分のプライドとして、「全ての能力が平均して高いこと」が尖るように能力開発をしているつもりであった。今はそういうスタイルとは反していることをひしひしと感じ、存在意義を失いつつある。

精進の末に何を視るのか?は、精進の前に、答えがあることが望ましい。当然人生、全てがトップダウンには進まないので、ボトムアップに興味あるところからスタートする一手としては良いが、限度がある。この観点から考えると非合理的な行動をしていて、英単語もアルゴリズムも、今の僕の段階から幅を広げるキースキルにはなりえない。一方今の社会状況から考えて博士号はキースキルにまだなりえるが、これを度外視して精進の手を広げるには僕の力不足である。修士学生の時にあまりに様々なスキルに着手し、それなりに成功してしまった運の良さが結局問題なのだろう。

才能の差を感じる。もともと僕は精進ありきの勉強スタイルを取っている。つまり、「僕が青なのは、Topcoder Medium 100問解いていないからだ」派である。正直この考え方が普通には馬鹿げているとはわかるのだが、どうしてもそう信じてしまう。割と本気で問題と向き合い続けても、わからない問題はどんなに解説を読んでもわからず、その間にMedを解きまくっている新参はいる。100問解いたから強いのではなく、100問解けるから強いのだろう。自他ともに、勉強時間を増やさなければ自分より才能のある人間に勝てないことは、高校でわかるだろうに、なぜ才能を直視しないのか?と問わねばならない。

難しい問題に特攻することと、難しいアルゴリズムに特攻することは違う。前者は競技プログラミングの勉強で、後者は一般的なスキルの問題である。チームでものを作る場合、一般に知識のほうが強い。知識があれば、前者の人を探してくることは難しくない。最近は難しい問題に特攻して撃沈することが多いが、これは本来僕のスタイルではない。

解説を書くことについては、2つの理由でやっている。一つは単純な感謝の気持ち。業界に貢献したいという気持ちが強くてやっている。もうひとつは、自分の備忘録。僕の勉強は記録と主にある。解説公開は、実際これからもやりたいと思っている。しかしやはり時間の無駄感はある。代替方法は考えないといけない時期にある気がする。行間を飛ばすと、ソーシャルわらしべ長者の観点からは、自分とアクセスしてもらえるのは、2段階上の人までなのだ。

就活を理由に、なんとなく競技プログラミングで黄紫黄にしておこうと思っているが、全く根拠はない。非合理的な自分にあきれて恥ずかしい。起業も含めて、人生を狭める段階にあり、精神的に疲弊している。

英語できない。日本人は5000時間勉強しなければいけない(しかもサンプルが少なすぎて正確な統計が無いので憶測レベルの見積もり)とはいえ、不公平感が甚だしい。もちろん「僕が英語が喋れないのは、英語をまだ5000時間勉強していないからだ」であるし、「英語ができないことによる全ての不利益は努力不足に起因する」であることはわかっている。しかし、この状況が不公平でなければ何なのだ。

ところで、最近レートが上がり気味なのは、ほとんどコンテスト前にお酒を飲まないようにしたからだと思われる。